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    ブコウスキ―と、それに線を引いた元の持ち主。


    どうも。こんばんは、元・雨ギライの古本屋です。

    今は、結構好きですね雨の日。





    世界中の、だいたいのロクデナシにとって「チャールズ・ブコウスキ―」の存在は避けて通れない。
    僕も、20代の初めに彼と出逢って。色んなことを肯定された気がした。今思えば、
    ブコウスキ―の文学はその構造が落語と似ている。与太と下衆による、
    業の肯定。そんなもんだろ、と、それでいいんだ。酔いどれと、無頼。

    私小説は、自分を曝け出し、曝け出すことで、誰かの背中をぐいと押す。それは紛れもなく、
    文学だ。涙が出てくる。

    【卑猥で好色で下品な売女どもの酒を飲んでファックする、カリフォルニアの狂人作家・・・それが私である】

    先日、チャールズ・ブコウスキ―の【町でいちばんの美女】という短編集を入荷した。



    buko.jpg



    (新潮社のこの装丁写真は本当に格好良くて、
    文庫本もこの写真が使われているのだが、僕は、もっとボロボロになった方がなお似合う気がして、
    一定期間、ジーパンの尻ポケットで弄んだ後、玄関の壁に貼った。それほど好きなこの写真、
    藤原新也氏の仕業だと知った時に、「意外」とも思ったし、「なるほどねー」とも思った。)



    自分が本を読むときに、気にいった言葉や表現をメモすることはよくあるのだが、
    ページに直接何かを書きこんだり、線を引いたりする性質ではない。だからこそ、
    たまーに出逢うこういった「痕跡本」はとても興味深いのだが、
    対象が「ブコウスキ―」の小説だった場合、特に性格というか、性癖が、如実に表れていて、愉しい。



    今回、入荷した「町でいちばんの美女/C・ブコウスキ―」という短編集の中で、
    線引きされていた箇所を幾つか紹介する。



    【“女3人”より】
    ・つまるところ結婚は性交を神聖化することで、神聖化された性交は、やがて必ず退屈になって、
    そのうち仕事になっていく。そのように世界は出来ている。

    【“10回の射精”より】
    ・「愚か者がもっとも忍耐強いという意味なんだ」

    ・「得るものが大きければ、失うものも大きい」

    【“25人のぼろをまとった浮浪者たち”より】
    ・カネのためだぞ、と私は自分にいった。やがていつか、パリやローマに休暇を過ごしにいくことがあるさ。
    こういう連中とはモノが違う。おれの居場所はここじゃない。
    だが、それこそが、そこにいる誰もがおもっていることだった。おれの居場所はここじゃない。みんな、
    それぞれ正しいのだ。

    【“あるアンダーグランド新聞の誕生と死”より】
    ・人生の意味を知っているのは、貧しい者だけだ。

    【“淫魔”より】
    ・人間の群れから離れている期間が長ければ長いほど、幸福な感じにひたっていれたのである。
    結婚や同棲生活、それに一晩だけの付き合いなどから、性交は、女が要求するその見返りに比較して、
    割に合わないということを学んでいた。



    と、これだけでも元の持ち主のことがよくわかる、茶化そうと思ったけどヤメタ。
    彼は、自分自身のことを上手く愛せずに居て、
    性や、暮らしや、金に対して、ネガティブな角度からしか付き合えずにいる。
    本に、物凄く顔を近づけて、もの凄く力を込めて、線を引いていた様子が読み取れる。
    つまりは、いつかの僕である。或いは、いつかの君かもしれない。もう、
    抱きしめてあげたいよね。
    今も、相変わらず、世の中を完全に肯定出来るほど成熟出来てはいないものの、
    あの頃よりかは幾らかマシに思えるようになったのも事実。

    文学に寄り添って、時に絶望を肌で感じて、
    まるで自分のことに錯覚するのも愉しみ方の一つではあるものの、
    文学でそれらを、“洗い流す”という行為も、必要ですよ。バランス。






    台風が鎮座して荒れて、人通りのない銀座の映画館で、
    【オールドパンク】観た夜が、なんだかとても懐かしい。



    「ありがとう、アンドレ」と男はいった。
    「気をつけるわ、アンドレ」と女はいった。
    「ラブ!」と私はいった。
    「ラブ!」と2人は口を揃えて答えた。

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    気になる作家 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/05/10 20:51

    リチャード・ブローティガンに背骨、くねくね。



    先日、友人のアンディに「リチャード・ブローティガン」という米国の作家をオススメした。

    アンディの空気と、ブローティガンの言葉は、お似合いの気がしたから。


    Richard Brautigan(1935~1984)
    【ビッグ・サーの南軍将軍】でデビューして、
    60年代、米国に吹くビートの嵐の中で活躍をした小説家(詩人)

    村上春樹さんや高橋源一郎さん、
    他にも多くの日本人作家に影響を与えたといわれている米国の作家なのだが(クロマニヨンズのマーシーなどミュージシャン(特に作詞家)で影響を受けたと公言している人も多い)残念ながら、
    60年代の終わりと共に(ビートやヒッピー文化の廃りと共に)
    母国ではすっかり人気を失ってしまったらしい。それでも、
    色彩豊かで変幻自在な比喩の魅力と、
    独創的で味わい深い心理描写、温かく緩やかな言葉が創り出す幻想世界は今も健在だ。


    時を越えて、いまも生きている。


    (ビートの詩人には、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズといった泣く子も黙るレジェンドたちが居るのだが、ブローティガンは彼らの最盛期の少し後の頃に脚光を浴びた作家。それにケルアックやギンズバーグの詩が「牙」だとすれば、ブローティガンの詩は「羽根」のように思える。もっとも、個人的にはそのどちらも好きだし、どちらにも影響を受けたのだが、今回は羽根の方を、、、)

    Richard Brautigan
    (↑クリックでtwitterのブローティガンbotにLink)


    僕は、24歳の頃
    【ロンメル進軍】という彼の詩集の中で綴られていた「なにもかもが完璧なような気がしたので」という詩を読み、完結しない物語の楽しさにハマった。文字が触らせてくれる”風の柔らかさ”も面白かった。頭の中に描かれる二人の距離も絶妙だった。たった数行で、彼の創った完璧な世界が僕の中にも広がった。


    ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


    「なにもかもが完璧なような気がしたので」


    なにもかもが完璧なような気がしたので

    ぼくたちは車を止め

    そして外へ出た

    風が優しくきみの髪をなぶっていく

    こんなにも単純なことだったのだ

    ぼくは向き直り

    きみにいま話しはじめる


    ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



    「死につつあるきみが最後に思いうかべるのが溶けたアイスクリームだとしたら」
    というタイトルで書かれた詩も面白い。



    ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


    「死につつあるきみが最後に思いうかべるのが溶けたアイスクリームだとしたら」

    そうだな、そういうのが人生かもな


    ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


    自分と対話しながら、
    あどけなく浮かんだ頭蓋内部のイメージに、
    丁寧に言葉を込めていることがわかる。
    (そして、その後の"放り投げた感"がたまらない)



    その頃、ブローティガンの詩だけではなく小説も読んでみたのだが、
    当時の僕にはイマイチついていけず、
    あれから数年経った今頃、
    改めて読み直してその言葉の魅力にメロメロしている。表現の手段に酔わされている。


    どんどん豊かになっていく60年代初めの"ほとんどのアメリカ"の陰で、
    頭の上の圧力が強まるマイノリティの存在があり、
    彼らの祈りや、願いや、反抗が刻まれていたのが当時の文学なのだろう。
    (もちろんそれは音楽や映画など、あらゆる表現の手段に刻まれていたんだけどさ)

    そんな中、
    "60年代のアメリカを描いた新しい文学"と呼ばれた代表作「アメリカの鱒釣り」や、
    詩的幻想小説「西瓜糖の日々」、ブローティガン入門編にちょうどいい短編集「芝生の復讐」
    不器用な男女の風変わりな恋物語が描かれた「愛のゆくえ」など、
    小説と詩の真ん中にあるブローティガンの"文学"は、
    まるでその時代の"空虚"を埋めるような存在だったのだろうね。
    人の"表現"と、その時代の"求めるモノ"の合致、

    そういう意味で、
    僕は2013年のこの"空虚"も、
    "ブローティガンの文学"で埋めることが出来る気がしている。
    朝夕の風がようやく心地良くなってきた今の季節にちょうど似合う物語、
    もちろん、BooksSmileの本棚にも隠してありますん。


    それにしても、
    海外文学は翻訳家の感性が相当重要になるわけだが
    ブローティガン作品の一連の翻訳を担当された藤本和子さんのソレは素晴らしい。
    彼女なくして、日本で彼の作品がここまで読み継がれることはなかっただろうな。



    Twitterで、ブローティガンbotをフォローすれば、その言葉の面白さを知ることが出来る。
    (もちろん、その"翻訳"の上手さ美しさも)




    ・追伸

    これらの作品が世に出た60年代後半から70年代の始まりにかけて、
    ブローティガンも藤本さんも、
    今の僕とほとんど同じ齢の頃と知り、嫉妬してなぜか背骨くねくねした。
    気になる作家 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/04/20 21:00
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